私達には人と接する時に適切な距離感というものが備わっています。そしてその距離感というものは、知らない人程遠く、仲の良い人程近くなるもの、そう言われれば、当り前だよね、と思います。
ところが、その距離感が場合によって相手とのやり取りで摩擦を生んだりすることがあります。一番起こりやすいのが、夫婦であったり親子であったり、家族であったりする訳です。
特に毎日当たり前のように顔を会わせていると、この距離感が曖昧になります。それによって何が起きるかと言いますと、
(私の気持ちは分かってくれている。)
(私の言う事は聞いてくれる。)
というように自分≒相手のような感覚になってしまうのです。それがお互いに起きた時に、力や立場の強い方が押し付けが強くなります。もちろん親子などの場合、子供が小さければ、まだ未熟なので親の言う事を言い聞かせて、安全な方に導くという事は起きるでしょう。
しかしこれがある程度の年になり、子供も自分の考えが出来てくると、以前のようなやり取りが出来なくなってきます。そうなると、反抗的だとか生意気だというやり取りが生じたりもします。
しかし、特に思春期の子供が親の意見に反発したりするのは、自我の芽生えなので、どうしても起こり得るものだという事です。親となった立場の人達でも、自分がそれ位の時には親とのやり取りで衝突したりもあったのでしょう。
この不協和の瞬間は、とても苦しく不快な時期かもしれません。でもそうした親との反抗的なやり取りも、子供の中にちゃんと蓄積されていて、自分が大人になった時の糧になるはず。
子供とのやり取りは、時が過ぎれば巻き戻せません。かわいくて懐いてくれていた時期、騒がしくてうるさかった時期、反抗的だった時期、そして旅立ちの時期、その変化が全て親と子供のお互いの成長記録だと、私は思います。
今、やり取りが苦しいとしたならば、親としても成長している瞬間なのかもしれません。今解決しようとせず、今出来る事をやってみましょう。



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